有限会社 京増  京増 弘志



「かわら版NO.1716」


 

「かわら版NO.1716 団塊世代の社会参加」
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 3月2日、財)統計研究会主催の国際シンポジュームが「団塊世代の就業と
社会参加」というテーマで開催されました。
 団塊世代が60才までの会社勤めを離れ、社会参加や地域社会に飛び込むこと
が難しいわが国と同様、中国、韓国、ヨーロッパも少子高齢化社会に向かって
おり、高齢者が頑張らなくてはいけない時代になりました。
 私が所属しているNPOビジネスキャリア協会も、定年後のシニア、現役、
そして学生が集う気楽なコミュニケーションの場です。
ご関心のある方はホームページをご覧下さい。http://www.bca-jp.com/

1.国際シンポジューム   「団塊世代の就業と社会参加」
2.池田明さんの映画感想文   「それでもボクはやってない」 
3.岡部正敏さんの暇人の独り言 「西郷輝彦氏の思い出」

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1.国際シンポジューム 「団塊世代の就業と社会参加」

 早稲田大学商学部鈴木教授からシンポジュームのまとめとしてのコメントが
ありました。

 定年後は、単一的生活から多様化な生活環境になります。今までの様な、会社
で働くことが主体で、余った時間で余暇を過すというスタイルから、社会参加、
就業、余暇がそれぞれ3分1という、人間にとって調和のとれたワークライフバ
ランスが求められます。このような生活ができる人は理想的なタイプで、このこ
とに反対という人はいません。しかしながら実現には多くのハードル(必要条件)
があります。

  ・経済的な安定(年金・資金運用)
  ・地域社会の基盤
  ・余暇文化の構築
  ・多様な働き方(短時間勤務・自営業・NPOなど)
  ・家庭・家族からコミュニティへ

 1)経済的な安定
   ・年金のみで生活が保障されている人は少数で、30%の人は働かなければ
    食べられません。
   ・多くの場合、生活水準の大きな切り下げ(高齢労働者が仕事を継続する
    最大の理由は経済的安定)になります。
 
   注:EU諸国での恵まれた年金とは従前(最後の賃金)の7〜8割です。
    日本では公的年金(厚生年金)への上乗せが少なく(企業年金は大企業の
    従業員に限られます)。そして、共済年金や職域年金も未発達です。

 2)地域社会の基盤は?
   ・社会参加の一つの形態は、地域社会への参加です。
   ・ただし、大都市圏に地域社会の基盤があるでしょうか?(昔は村社会が
    あり、会合、寄合がありましたが、都会のサラリーマンには無縁な世界で
    はないでしょうか)

  注:アメリカ・ヨーロッパでは、教会やアソシエーションがかなり残って
    います。

 3)余暇文化の構築
   ・余暇 イコール ゴルフ、ドライブ、旅行が支配的。余暇は自由な時間を
    なるべく拘束なく楽しむことです。
    余暇文化は明治以降否定され、勤労が美徳とされました。江戸の文化
    (歌舞伎、文楽、俳句など)は“遊び心”の文化がありました。
    生活の中心に余暇(自由時間)を位置づけるためには余暇の使い方を学ぶ
    必要があります。
   ・ヨーロッパの長期休暇(バカンス)は、退職後の生活を“学ぶ”機会でも
    あります。

 4)多様な働き方
   ・日本の企業の一つの特色は画一的な管理システム(人事部の役割が強く、
    集権的)、したがって短時間勤務、テレワーク、フレックスタイムなどは
    企業の現場ではあまり実施されていません。
   ・高齢者の多くは短時間勤務(週3日制など)を望みますが、企業側は対応
    できていません。

  注:欧米の専門職の人は、フルタイム労働が退職後、プロジェクト単位
    (コンサルタント、請負)で働きます(一種のソフトランデイング)。

 5)家庭・家族からコミュニティへ
   ・ワークライフバランスの柱は家庭と仕事の両立です。
   ・家庭あるいは家族は、社会制度の基本単位です。
   ・個人、家族、友人、地域コミュニティの相互依存の認識が薄いのではない
    でしょうか。団塊の世代は個人と家族、家族と友人の輪のところで分断さ
    れていないでしょうか。

  注:米・欧において社会の基本単位は家庭と家族、個人はその中に位置づけ
    られ、その外延部に友人、コミュニティがあります。

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2.池田明さんの映画感想文です。

 □「それでもボクはやってない」

 人が人を裁くのは何と不条理なことか?痴漢冤罪事件を題材として、日本の
刑事裁判制度の問題点を鋭く指摘し、考えさせる映画である。
「疑わしきは罰せず」、「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(罪のない人)を
罰するなかれ」ということが裁判の鉄則ではなかったのか?しかし、刑事事件
で、起訴された場合の有罪率は99.9%とのこと。その背後には、警察の捜査から
判決に至る過程に驚くべき仕組みが隠されている。

【ストーリーの概略】就職の面接に向かうフリーター徹平(加藤亮)は、満員電
車の中で痴漢に間違えられ、問答無用で駅事務所へ連れて行かれ、直ちに現行犯
逮捕される。警察で容疑を否認するが、「やってない!」と何度訴えても、担当
刑事から自白を強要され留置場に拘留される。検察庁での取調べでも無実の主張
は認められず、起訴される。逮捕から取調べ、拘留、起訴の過程で、疑われた者
は始めから犯罪者扱いである。まして被害者は女子中学生。一方逮捕された男は
就職活動中のフリーター。勇気をふるって痴漢を捕まえた少女に当然ながら同情
が集まる。ベテラン弁護士荒川(役所公司)と新米弁護士須藤(瀬戸朝香)が
徹平の弁護にあたり、徹平の母や友人たちも徹平の無罪を信じて目撃者探しなど
支援活動に動く。公判は12回に及ぶ。誰もが無罪を信じていたが、逮捕されて
から丸1年後に、なんと有罪判決。

 監督・脚本は『Shall We ダンス?』で世界に名を馳せた周防正行。11年ぶり
の映画制作、約2年間徹底的に取材したとのことで、作品の随所で留置所内での
被疑者の処遇、起訴手順、法曹界の取引などを丁寧に描き、捜査や裁判のありさ
まが、あたかも裁判手順ガイダンスのように正確にリアルに描かれており、長め
の上映時間なのに少しも退屈させず最後まで緊張感溢れる映像が続く。

 裁判は検察側の有罪立証に対して弁護側が、リーズナブルな疑問を差し挟むこ
とができれば無罪のはずだ。無実の人を罪に落とさないように無罪推定の原則が
あるはずだ。だが、痴漢事件には物証がほとんどないから痴漢被害者の証言が
ほぼ一貫していれば、その信用性が認められてしまう可能性が高い。更に警察の
いい加減な捜査、「被疑者には絶対にだまされないぞ」と頑なに決めてかかる
検察官の思い込み、裁判官の先入観、などが重なってくると無罪を勝ち取ること
はより一層難しくなる。弁護側が無罪証明をしなければならない事態になって
しまう裁判制度には理解に苦しむ。そこで弁護側は再現ビデオを作って法廷に
提出し、被告人には犯行が不可能だったことや、被害者が犯人を勘違いした可能
性があることを指摘した。裁判官は、本来ここで検察側に対して「被害者の証言
の信用性を裏付ける証拠がない」から、有罪立証が不十分であることを指摘すべ
きだ。裁判官の背景に、刑事事件の有罪率99.9%という数字があって、無罪判決
を出す場合上級審で覆るのではないかという不安があるので無実の確証が無い
限り無罪判決は出せないという。しかし、最終的に無実の罪に問われた被告人を
救うことができるのは裁判官だけなのだ。冤罪で有罪判決を受けた被告人の人生
は取り返しがつかなくなる。

 さて、2009年から裁判員制度が始まる。一般の人が裁判に参加することにより
取り調べの密室性が取り除かれてゆくことが期待される。一人の裁判官の考え
だけで無辜の市民が犯罪者に嵌められていくような制度は早く見直されるべきで
あろう。人を裁くには、複数の多様な角度から慎重な審判が不可欠だ。間もなく
国民のだれもが裁判に関わらなければならなくなる。この映画はそのための良い
教材となるであろう。

 また、毎日満員電車に揺られて通勤する男性の皆様には、痴漢冤罪事件に巻き
込まれないように自衛策を考えるためにも必見の映画です。(勇気を出して?)
痴漢の被害を申し出たというだけで、若い女性の言い分は通ってしまい、被疑者
の言い分は一切拒否されるという恐るべき現実が電車を降りたところに待ち構え
ていますよ!

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3.南風舎の岡部正敏さんのメルマガ「暇人の独り言」のご紹介です。

 □西郷輝彦氏の思い出

 突然、思い出したことがある。もう20年以上前のこと。私は以前勤めていた
会社の出張で大阪に行った。その帰りに新大阪の新幹線駅のプラットホームに
上がった。私の周囲には一人の青年がいただけ。1階の土産物売り場の女性が
息せき切って階段を登って来て、列車を待っていた乗客の一人に忘れ物を手渡し
た。その青年が歌手であり、映画俳優の西郷輝彦氏であることに気づいた。その
時、西郷輝彦氏の対応を見て感動した。彼は女店員に対して、90度ちかくお辞
儀をしてお礼を言っているのである。偉ぶったところが微塵もない態度だった。
それ以来、私は彼のファンになってしまった。他にそのことに気づいた乗客は誰
もいなかった。

 人の評価というのは、他人様が見ていないところでのその人の振る舞いで決ま
ると思う。西郷輝彦氏の振る舞いを見てそのように感じた。世の中には周囲に
たくさんの人がいる時にはとても謙虚な人が、特に政治家にそのような人が多い
ように思うのだが、周囲に人がいなくなると、急に横柄になる人がいるものであ
る。相手が有名な人、権力を持った人だと大変謙虚な振る舞いをし、言葉使いも
丁寧な人が、立場が変わると、とたんに豹変する人がいるものである。

 「他山の石」という言葉があるが、まさにそうだと思う。「人の振り見て、
わが振り直せ」ともいう。西郷輝彦氏のような振る舞いを私ができるのか心もと
ないが、気持ちの上では、見習いたいと思っている。

以上



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